台北高等学校(尋常科)は1922年に、ドイツのエリート養成校を模倣して誕生した。日本全国には38のこのような高等学校が存在したが、台湾では「台湾総督府高等学校」一校のみであった。校舎は最初台北第一中学校(今日の建国中学)の一部を借用、そして1925年に高等科が開設された。1926年4月、台北市古亭町に建てられた新校舎に移転(現在の台湾師範大学本部)し、1927年には学校名を「台湾総督府台北高等学校」に改めた。台北高校高等科は文甲、文乙、理甲、理乙の4クラスに分かれ、台湾人生徒は、帝国大学の医学部に入り医学研究者になるか開業するために、理乙に進む者が多かった。
1945年8月、日本は戦争に破れ、台北高校は中華民国政府に接収された。11月30日、学校名は「台湾省立台北高級中学」と改名、12月10日法学博士の張金潤が校長に就任した。1945年12月14日から、台北高等学校最後の校長であった下川履信は、台北高校の備品を分類し台北高級中学に移譲する物品のリストを作成し始めた。台北高級中学は、台北高校のまだ卒業を迎えていない高等科生徒と尋常科生徒を、更に日本から台湾に戻って来た中等学校の留学生たちをも受け入れた。それと同時に、「台湾省立師範学院」が台北高校の所在地古亭町に創立の準備を始めた。
台湾師範大学の前身である台湾省立師範学院は、教師を迅速かつ大量に養成する任務を受けて設立された。1949年台北高級中学の閉校まで、その敷地や設備を借用した。つまり、台北高等学校の所在地(現在の台湾師範大学本部)にある校舎や設備は、ニつの異なる性質の学校に共用されたのである。1949年7月に台北高級中学の閉校と共に、台北高等学校の校舎、設備、図書はすべて省立師範学院が継承し、今日に至る。