1922年、台北高等学校はまず尋常科が設立されました。当初は台北第一中学校(現・建国高級中学)の校舎の一部を借用して開校しました。その3年後、1925年に高等科が設立され、翌年台北市古亭町の校舎(現・台湾師範大学本部キャンパス所在地)に移転しました。 語言課台北高等学校の尋常科は、小・公学校を卒業した台湾人・日本人児童に入学を許可し、4年の修業期間を終えた後、直接高等科に進学できました。一方、高等科は修業期間を3年とし、尋常科から進学して来た生徒の他に、他の中学校の卒業生も入学試験を経て入学することができました。高等科は、文科と理科に分かれ、選択した外国語科目により更に甲類と乙類に分けられました。生徒は、毎週ドイツ語または英語を10時間余り学び、将来の勉学や研究のために、高校時代に語学力の基礎をしっかりと固め上げました。 台北高等学校の入学試験は、「台湾一の難関」と言われていました。当時尋常科に合格できた台湾人児童の平均数は4人にも満たず、高等科でも平均30人に及ばない程でした。正に「難関中の難関」だったと言えます。高等科卒業後は、無試験で台北帝国大学(現・国立台湾大学)に入学が許可されましたが、日本内地の東京帝大、京都帝大に入学した生徒も数多くいました。 台北高校は帝大予科の性質を持っていたため、卒業生のほとんど全員が大学へ進学し、授業は外国語の教育に重点を置き、相当な成果を挙げた。また、優秀な教師陣によって少人数の学生を教育し、さらに学生の大多数が寮生活を送っていたため、自治的な生活の中で仲間と切磋琢磨することで、友情が育まれた。このように優れた学習環境にあった台北高校の学生は、「エリート中のエリート」と呼ぶに値する。1925年より、台北高校は総督府国語学校および医学校に代わって、台湾トップのエリート養成所となり、これらのエリートたちは台湾戦後社会におけるリーダー階層の最も重要な源泉の一つともなった。